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[地域活性化] 地域づくりに欠かせないもの(その2)

昨日のお話のつづき。ここでは、理論的な話はさておき、いくつかの具体的な例をあげてみよう。

ボランティアという名称それ自体が、すでに与えられた役割という以上の意味を持たない。つまりは、その役割を必要とされなければ、そこでの働きが無意味になりかねない、ということだ。

「子ども食堂」という名前が妥当かどうかはわからないが、目的は、地域共同体を復活させたいということだ。

孤独死、自殺、不登校、家庭内暴力、様々な問題が叫ばれて久しい。こうした問題の多くは、地域共同体が崩壊したこととが少なからず影響している。

子育てに悩む母親は、井戸端会議のみならず、近所のおせっかいなじいちゃん、ばあちゃんたちが話を聴いてくれた。友達にいじめられて悩んでいる小学生にも、おせっかいな地域住民が否応なくからんでくる。お腹をすかせていれば、「うち、あがってけ」と素朴な家庭料理を振舞ってくれる。

地域のつながりが、追い詰められ、行き場を失っている人たちに、時に鬱陶しくはあっても救いの手を差し伸べる。そして、おたがいに助け合う、という戦後にはよく見られた風景。そうした地域共同体をもう一度、取り戻したいという願いからだ。

だがこうした視点が抜け落ち、ただの福祉慈善事業となってしまった「子ども食堂」は大きな問題を抱え込むことになる。子ども食堂の主催者は、食べるのに困っている子どもたちのために、「施し」を与える。自分自身は安全地帯にいながら、自分の食べるに困らない施しを与える。そうした施しを受ける側の心情には思い至らないときは、一層悲劇的だ。(つづく)

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