MENU

[地域活性化] 地域づくりに欠かせないもの(その3)

昨日の(その2)の続き。

お腹がすいてはいてもそれを毅然と拒否する子たちもいる。彼らは施しを受けることを「みじめだ」と感じるだろう。施しを受ければ受けるほど、一方的に支えられるだけの自分自身の惨めさは増し加わる。人間の尊厳にも抵触しうる由々しき事態なのだ。「働かざるもの食うべからず」というのは、因果応報の冷酷な命題ではなく、個々人の自尊心を、つまりは人間らしさを保持するための恩恵に満ちた命題として捉えたい。

だが、そうは言っても、困っている子どもたちがいるのも事実だ。だから、ここで注目しなければならないのは、「働きの対価」という発想なのかもしれない。繰り返しになるが、それは、「人間らしさ」や「自尊心」を保持するための仕掛けとしての対価だ。

働きの対価をどこにも止めたらよいだろうか。その一つのヒントは「おたがいさま」という互恵的な関係性にある。話し相手が欲しいおじいちゃん、おばあちゃんにとり、子どもたちとのおしゃべりや関わりそれ自体が、とても大きな贈り物だ。挨拶ひとつとってもそうだ。些細なことかもしれないが、そうした声かけによって、沈んでいた心に光がさすことだってある。あるいは、将来、与えられた恩恵を、同じような境遇にある人たちを支えるために、一生を捧げる人間もあるいは出てくるかもしれない。

人類のためにだとか、日本のためにだとか、そういった抽象的な対象をではなく、目に見えるあなたのすぐそばにいる困っている人に救いの手を差し伸べる。西洋の長い歴史の中で、それは「愛」という言葉に集約された。(つづく)

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次